映画『神聖なる一族24人の娘たち』


(画像は公式サイトのスクリーンショット)

 舞台となるのはロシア西部、ヴォルガ川沿いのマリ・エル共和国を舞台に、Oから始まる名を持つ24人の女性達の、おおらかな性を伴った生の、そして幻想と現実のあわいの物語。

 大量生産大量消費とか理路整然さとか、そんな「理屈」に漂白されていないあるがままの人間、と言うと何だか語弊がありそうだが、粗い麻地のような手触りを感じさせる一作。
 人間ってそもそもが理路整然と物事を捉えるのには向いていないんじゃないかと、個人的には思うのだが、しかし現代社会は客観性だとか主旨一貫性だとか最近発明されたものを身につけて行動するのが当然だと定義している。
 この押しつけは言語化されることもなく、まるで空気のように必須なものだと思い込まされる社会に生きている身としては、こうやってポンっと突き放されると目の前の映像をどう受け取って良いのか分からなくなってしまう。が、この狼狽こそが、自分の中に知らぬ間に住まわせてしまった価値観と顔をつきあわせる契機となる。
 いやぁ、良い映画ですね。



 とは言っても、映画で描かれる物語は物語である。それはマリの慣習や儀式を踏まえてはいるが、デニス・オソーキンの原作を元とした創作だ。
 現代社会に暮らす人間の手が入っているからこそ、ふとした瞬間に画面に映る自然や人間の表情が生々しく、目蓋の裏に焼き付いた。

 ちなみに出演者の殆どがマリ・エル共和国に暮らすマリ人の素人さんらしい。マリ人ロシア人含む女優も起用はしているが、全編がほぼマリ語で展開するため、ロシア人の俳優さんは大変だったそうな。
 映画を見ながら「全然聞き取れないんだけど、全ッ然聞き取れないんだけど、ねぇこれロシア語じゃないよね? ロシア語じゃないって言って!?」な気持ちになっていた私に朗報。
 失ってしまった恋について図書館らしきところで男が語る物語はロシア語だったよ。他はほぼロシア語出て来なかったよ。たぶん。


 監督はアレクセイ・フェドルチェンコ。既に何作も撮っている中堅だが、日本での公開はこれが初っぽい。
 パンフレットに掲載されているインタビューを読むと他の作品も面白そうなので、日本語版DVDとか出ないかなー。
 ちなみに今、ストルガツキー兄弟原作の『Kosmicheskiy Maugli』を撮影中とのこと。ストルガツキー兄弟原作って時点で固定客ゲット出来そうだし、日本でも公開してくれるかな。くれるよね。




 この映画は京都みなみ会館まで観に行ったよ。気が付いたらシネ・リーブルでの公開が終わっていたんだよ。
 初めて行ったので、当然ながら道に迷ったけれどサックリ省略。目の前でバスが出発したのは結構メンタルに来ました……。京都のバスは優しくない上に、迷宮過ぎる。 攻略出来る気がしない。
 ……まぁそもそも生まれてから一貫して北大阪の人間やってるのに、梅田の地下街で迷子になるレベルの私に攻略できる地域などないって話だが。

 なんだかんだで辿り着いた京都みなみ会館。1時間余裕を見て家を出たのに、到着は10分前とか、流石私。



 こじんまりとした映画で、アットホームな感じ。
 駐輪場・駐車場ともに完備。駐車場も無料とのこと。
 GoogleMapが何故か行きと帰りで別の経路を提示して来て、深く悩んだ。

 バスで行く場合、途中には東寺がある。




 時間が遅かったので、東寺に寄り道できず。上の写真は五重塔。
 帰りに通りがかったら、ライトアップされていた。ビビる。


 京都みなみ会館では、『神聖なる一族24人の娘たち』公開に合わせて、マトリョーシカチョコレートやボルシチの元が販売されていた。
 そんな訳でボルシチの元を購入。



 「手作り風のウクライナのボルシチ」らしい。ウクライナのではないボルシチもあるのか?
 葉っぱの上のは「簡単調理」とでも訳せば良いのだろうか。
 一人分だろうと思って買ってきたのに、一袋で1リットル作れる。前に私が作ったボルシチが不評すぎて、ウチの家の人間はもうボルシチ嫌って言うの……、一人で1リットル食べるのか、私。



 京都みなみ会館で貰って来た京都シネマのチラシで、私が去年京都ヒストリカ国際映画祭で観た『フェンサー』が日本でも公開されることを知る。邦題は『こころに剣士を』。
 同じく京都ヒストリカ国際映画祭で観た『千年医師』の上映情報も載っているし、私が今年の今日とヒストリカ国際映画祭で観られなかった『バタリオン』も来年あたりに公開されると良いなー。
 ちなみにジョージア・アブハジア間の戦争を背景とする映画『とうもろこしの島』『みかんの丘』も京都シネマで上映予定。


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